争いのない世界

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私たちが生きるこの世界がどんなに進化を遂げても、未だに到達できない世界がある。

それは、争いの全くない世界。

人は、常に争っている。

他より優位に立ちたくて、争い続けている。

これは果たして永遠にどうにもならないことなのだろうか?

皆が衣食住足りて、そういうものを巡っての争いがなくなったとしても、

もっとほしいと、足りた以上に欲しがり争うだろう。

より人より称賛や愛情を一身に受けたくて、それを求めて争いが続くだろう。

表向きは紳士淑女のように振る舞っていても、心の中で葛藤し、争い、不満を募らす日々を過ごすことも起こるだろう。

 

人は悟りを得て、「愛」を説いたりもする。

そして、人はその「愛の言葉」に魅かれて、そのような生き方を志向しようとさえする。

しかし、現況はその道は、多くが犠牲の道だったりする。

「愛」を志向する仲間同士で、心の中で葛藤し、争い、不満を募らせていたりもする。

生きている間は、天国は無理だが、死んだ後で天国に行ける、と説かれたりもする。

人生は苦しみだとも教えられる。そして、そこから脱する事を説かれる。

しかし、脱したはずの人が、暴言を吐いていたり、嫉妬の思いを発していたりもする。

 

ある生き方が、・・・そう、争いを生まない心のあり方での生き方が、その結果、強運だらけの、いいことづくめの結果を生み出すという現象をもたらしたとしよう。

それは、科学か医学の何かの実験みたいな形でかもしれないけれど、それが一つの予想外の実験結果をもたらしたとしよう。

例えるなら、・・・一つ前の実験では、ここの部位とここの部位の連結部分が正しく繋げられてなかったので、その後、支障が出てしまったようでしたので、そこをしっかりと固定して再度実験してみました。そうしたら、驚くべき結果が生じたのです。これは医学界に革命をもたらす実験結果となりました。・・・

みたいな感じ。

 

まあ、一例だけだと根拠が足りないかもしれないので、その後、二例目、三例目と続いたと。

「なんだ、そんなに凄いことになるんだ。だったら私もそうしたい。」そういう声が相次ぐ可能性が出てくるんです。

 

但し、それが、どんなに頑張っても簡単にできないことなら広まらない可能性が高くなります。

例えば、「痩せた方がモテる」というデータがはじき出されたとしましょう。

「じゃあ、痩せよう」・・・で、ダイエットに挑戦!・・・でも、とてもじゃないが簡単には無理ね、となって、あきらめる。

 

でも、どの人でも、ある方向性を持って、意識して取り組めば、誰でもたどりつける。但し、それまではそういう指針がたまたま世の中になかったので、誰もそこまでしなかった。でも新しい発見と実証によって、新しい道が切り開かれた。・・・そういうものであったとしたら・・・

 

コンタクトレンズの発明によって、メガネの煩わしさを気にせずにスポーツができるようになった。

最初、付ける時と、コンタクトに目が慣れるまでちょっとだけ我慢すれば、目にする世界が一変するかのような画期的な発明となった。そして、どんどん普及していった。・・・といった感じに。

 

 

では、争いを生まない心のあり方での生き方が、その結果、強運だらけの、いいことづくめの結果を生み出すという現象をもたらした・・・の「争いを生まない心のあり方」・・・これが何か?

 

これまでも、世の中には多くの人たちが、「愛」や「理想」を語り、そして、それを実践し、そういう世界を目指してきたりしました。

 

しかしながら、この文の冒頭で申し上げたように、常に争いがなくなることなく続いてきたのです。

その理由の一つとして考えられるのが、「愛」を語っていても、愛を全うできなかった、ということです。

「愛」を口で語り、頭で理解していても、その個人の心の潜在意識の部分において心の根底の動機の部分において、自分がより優位に立ちたいという思いがあったり、自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいと思っていたり、少しでも自分がお金を損したくないと思っていたりするのです。これはあくまでも「潜在意識」においてです。

 

これら、

・・・自分がより優位に立ちたいという思い・・・

・・・自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいという思い・・・

・・・少しでも自分がお金を損したくないという思い・・・

が、即ち、「争いを生む心のあり方」になります。

 

 

ここの部分・・・【潜在意識・心の根底の動機】において、ここまで言及することはこれまで歴史上全くなかったわけではありません。

しかしながら、例えば、仏教でいう阿頼耶識(アラヤシキ)は、人間の本性という扱いに近く、その辺りが実はやや曖昧なままなのです。

 

新しい時代に移っていく今のこの時代には、次なる新たな概念、それは別に世の中自体が新しく変化するのではなく、私たちの認識がより正しくこの世の中を把握し、コントロールできていくようになるということです。

曖昧だった認識の部分がよりクリアになるだけです。

 

この【潜在意識の中のマイナスな思い】の部分が、人間の本性ではなく、即ち、永遠にクリアできないものというものではなく、余分にくっついてしまっている要素だとの新たな認識のもとで、それらを克服していった時、

 

その心の根底・深層にあるマイナスの思いに気付き、それに囚われない「真」の「愛」を全うする行動、言い換えれば、「自分」が完全に「無」になる、無私となる行動、それこそ一般的に見たらとてつもなく不利に思えるような行動であっても、それをより大いなる高い意識・見識でそれをなした際に、通常ではあり得ないような、普通に考えたら奇跡としか思えないような現象が起こった・・・としましょう。

 

しかし、これは理解が曖昧だと超えるのは簡単ではないと言えます。

但し、はっきりした理解・認識があれば、実は意外と簡単だったりします。

 

今、多くのあるレベル以上に悟りを開いた方々も、実はここまでの認識・理解がないので・・・即ち、先程書いた阿頼耶識(アラヤシキ)に対する認識を超えない段階の認識なので・・・

 

認識がなければ、超えることはほぼあり得ないので、そこまで達しないために、普段語っている内容が普通に聞いたら、とてつもなく素晴らしい内容を語っている指導者的立場の方であっても、

 

具体的には、

例えば K教団のO指導者も、

・・・自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいという思い・・・

を超えてないにも関わらず、それを何がしかの意味合いを付けて正当化してしまい、見事に「魔」の手にかかってしまい、相当数の勢力を誇っていながらも、今や、勢いを失い、徐々に苦境に陥りつつあるのです。

 

また、スピリチュアルのY指導者も、

・・・自分がより優位に立ちたいという思い・・・

・・・自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいという思い・・・

・・・少しでも自分がお金を損したくないという思い・・・

この3つとも、その潜在した思いについては、全くの野放しの状態で、自らに不利な相手を蹴飛ばすようなことを見えないところでなしているために、やはり、徐々に運気を失いつつあります。

 

 

これらは、先程書いたように、その根底・深層の動機の部分における認識が従来のままの曖昧なままなので、それをいざという時に超える術(すべ)がないのです。だから当然超えられないのです。

 

 

私達は、ついつい、大きなものに目を奪われがちです。

新しい時代の芽は、常に見向きもされないような小さなところから育ちます。

 

最近のニュースがそのことを、そういう新しい時代の到来を示唆しているかのようです。

・・・ボランティア精神を貫き、幼児を助けた尾畠さん。

・・・地方の公立校(金足農)が甲子園で強豪校を破り、快進撃で魅了。

 

逆に次々と大組織の権力者層は馬脚を現し、失脚しています。

・・・レスリング協会、相撲協会、某大学アメフトチーム、日本プロボクシング協会・・・

 

 

 

私自身における、この「争いを生まない心のあり方」が自分のものとなって以降、断続的に、普通にない現象が続いているのが現実です。

 

もしも、他にも同じ類(質・レベル(注意:規模ではない))のことが起こっている人がいるのなら、是非、手を組んで主張していきたいところです。・・・が、現時点では、見つかっていません。また、そういう人がいるのなら、是非、声を上げて主張し、知らせてほしいと思うのです。なので、私も、可能な中で知らせていかなければならないと、同時にそれらを分析しながら、その役目、役割、ある種の使命を感じ、流れに沿いながら、少しずつお伝えしようともしているのです。

 

2013年に小さな実験みたいなことにある段階まで成功したような結果が生じました。

 

すると、不思議にも2014年から、それまで11年間、ヒントとして見せられ聞かせら続けていた太陽神からの夢うつつのメッセージを見ること聞くことがなくなりました。もう必要なくなった、ということだったのでしょう。その代わりに、まるでそれと入れ替わるかのように起こってきたのが、

 

チャネラーさんたちを通しての不思議な現象です。

不思議というか、私がこういう立場だ、とか、こういう存在だとか、こういう役目だ、とか、そういうことを知らせるかのような現象が、何人もを通して生じ始めました。

 

そして、その最後の砦(とりで)とでも言うのでしょうか、ここ最近は、バシャールの言われた内容と合致するケースが見られてきています。

大きくは二つで、

一つが、16年の秋から全てが変わる。16年の秋に種まきがされる。20年になって初めてその変化は16年の秋が切っ掛けだったと気付く。・・・といった予言です。(これ、確かに16年秋から種まきを始めているのです。そして2020年を一つの節目にもしています)

二つ目は、「シンクロニズム」という社会システムが、エササニという進んだ文明の星においてとられている。それは、必要な時に必要な人も物も必要なだけ巡ってくる、といったような内容です。(これもずっと何度も何度もシンクロ現象を通してヒントが得られたりや、偶然のようにピッタリの人に数多く出会わされてきたのでした)

 

 

多くの人が、一般的な見解として、そんなことしたら損する、として、選択しない行動を、その一歩超えたことによる劇的な体験から、次第に、当然そうするがいいに決まっていると、心底から、もう無意識下に近いレベルで選択し行動をするようになることで、断続的に、驚くようによいことが展開していく、となった時、

 

これらの認識が、世の中に浸透していったなら、無理と考えられていた、争いのない世界が現実的になっていくでしょう。

 

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