新しい時代への移り変わり
新しい時代の幕開け前なのだろう。
最近、特に今年に入ってから、周囲の人間模様、人間関係の動きが微妙に騒々しいw
とりわけ、淘汰する、される現象が一つにはあって、
それも、無意識に自滅していっている感が否めない。
今年の1月1日の午前0時に不思議な現象があった。
0時になるので、瞑想をしようと思った。
そして、集中したいので、ヘッドホンを着けてみた。
目の前にPCがあったが、そのデスクトップの画面上にいくつかあったフォルダのうちの一つを、その時なぜかいつになく目に留まって、開いた。
そのフォルダは、【WIF2018】、去年の秋のイベントで流した分の動画だった。イベント用のカラオケ動画といったものだ。
なぜか、その時、それを開いて頭から流し始めた。
場内アナウンスの声とかも流れてくる。
ただし、映像はあっても、この動画では、その時、生で演奏予定の フォーカスさん(Super ☆Star Focus)の演奏は流れず、無音になっている動画だ。
それをずっと見た。すると、前半が終わり、休憩に入った。
10分間の休憩で、休憩用の映像があるので、10分間はそれが流れ続ける。
なので、この時、なぜかスマホに目が行き、ちょっと気になったブログを開いた。
すると、記事が更新されていて、そこには、平成時代について言及している記事が書いてあったので、それを読み始めた。
すると、そこに、去年の12月の天皇誕生日の時に、天皇陛下が語られたメッセージの動画が紹介されて貼られてあったので、それを流して見始めた。
すると、天皇陛下が、平成は、最初の年に、ベルリンの壁が崩壊し、これで平和が訪れると多くの期待を抱いたが、現実には、様々な対立がその後も生じ続けていった事への悲しみが語られていた。
ただし、日本は戦争には巻き込まれず平和が続いていることにも言及されていた。
しかし、2018年は災害があまりに多く、そのことに胸を痛めている、といったことも。
そして、その陛下の動画は、16~17分ぐらい?あったかと思うので、その途中で、もう一つの目の前のPCの画面は、10分間の休憩が終わって、後半が始まりだしていた。
なので、同時に、聖徳太子状態で、二つを聞いていたのだがw、
不思議だったのが、陛下のメッセージの後半が、陛下の家族に関することが、親である昭和天皇についてや、子供たちのことなど、あれこれ語られていったのですが、
並行して流していたWIF2018の後半部でも、なぜか同じように、登場する人が、親との関係や、娘との関係など、家族に関する葛藤や、思いなどを語ったりするシーンが続いたのでした。
おお~、なんだこのシンクロは!、と思いながら、元旦開けて早々にそれらを堪能していたのでした。
そして、陛下の動画が終わると同時に、WIF2018内で、登場人物の、豪間長官が昏睡状態になるシーンとなったのでした。
その後、一通り、WIF2018の動画も見終えたのでしたが、
この元旦の不思議なシンクロな出来事は、何かを象徴して私にメッセージとして伝えられたものと嫌でもわかりました。
WIF2018で流されたシーン、映画【愛ボールearth2055】の紹介的な映像は、まさにこの混乱した行き詰まった地球をなんとかしようという内容であるのですが、
それらも相まって、
最初の陛下のメッセージにあった、
平成元年には、ベルリンの壁が崩壊した、、、
しかし、その後、平和は訪れなかったと。、
私は、ここに大きな意味を感じたのでした。
さて、ベルリンの壁は崩れ、唯物論から派生している、見えないものや神などすらも否定する無神論に基づく、共産主義社会が滅びていきましたが、
一方、見えないものを肯定する世界でも、争いや分裂が残っていったのです。
昨今の精神世界を扱う、宗教や、あるいはスピリチュアル界でも、問題が残り続けています。
しかし、この近年の動きを見て、私はこう感じています。
精神世界におけるベルリンの壁が象徴的にこの新しい元号が始まる今年、崩れ、数年で、精神世界における東西対立が大きくは消えていくようになると。
実は、私がこの元旦に開いたブログは、この2、3年で、精神世界、スピリチュアル界における問題点を追跡、分析してこられた方で、18年から、これまでのスピリチュアル界の問題点が少しずつ浮き彫りになってきて、その実態が暴露されつつあるという感じになってきているのです。
私も、以前から、そういったところを問題視して、時折言及してきていましたが、
それは、そのベルリンの壁の崩壊に象徴される動き以前には、そういう共産主義的な考え方も、有識者含め多くの人たちにまだまだ支持されていた考え方であったのでした。
しかしながら、そういう社会実験が東側諸国でなされていった果てに、理想の国家どころか、独裁国家、階級社会、粛清の名のもとに権力者の意にそぐわない者は殺害されてしまうという恐ろしい国家となったばかりか、意欲もそがれ、発展せず、経済的にも悲惨になっていく社会が築かれていくことになったわけなのです。
これまでの、精神世界、スピリチュアル界も、例えば、N.D.といった考え方が広まったりしたことを始め、間違った認識が多くに刷り込まれ、うまくいくどころか、おかしくなってしまう世界観が普及し、それにより、見えないものを肯定する世界の中で、一見わからないように対立の構造が生じていたのでした。
その証左としては、スピリチュアルに関わっている人たちのコミュニティなどの中の人間関係が、いくつも分断されてしまっていることと、それらが割と浮き彫りになってき始めていたことでした。
そこに、私自身、問題を以前から感じていて、少しずつそれらをメッセージとして詩やイベントなどにも盛り込んではいましたが、
それでも、対立する考え方が普及していたので、それらはかなり遠慮がちにシェアせざるを得ませんでした。
しかし昨年、時代の移り変わりの中で、スピリチュアル界に身を投じつつも、その中で縛られる思いをしてきたり、かなり疲弊する人たちが増えてきた昨今、
ようやく、こちらの以前から伝えたかった主張が、伝わり共感していただける機会が増えてきたのでした。
そして、その果てに、昨年11月に、WIF2018において、タイトルに【脱ブラックホールな関係】という最も重要なキーワードを盛り込むことすらも気が付くとできていたのでした。
なので、今年、新たな元号のもと始まるこの年は、平成元年がベルリンの壁崩壊とともに始まったように、
来たる新元号元年は、精神世界のベルリンの壁崩壊的な、即ち、間違った一方(東側の考え方に相当するスピリチュアル界の捉え方)の崩壊、自滅が顕著になるのでは、と見ています。(現に、私の主張するブラックホール(な関係)1.0~1.5~2.0で多くが今、周囲で崩れ落ちてきているのです)
そういう意味を伝えるかのような、不思議な元旦0時からの出来事だったのでした。
この10年、様々なシンクロ現象を味わい、また、それによって進むべき方向を選択し、そして、驚く程に導かれてきた、自身の周囲の現象を思うと、
この現象と見えてきた答えは、十分に大きな意味を持つ内容と感じられます。
争いのない世界
私たちが生きるこの世界がどんなに進化を遂げても、未だに到達できない世界がある。
それは、争いの全くない世界。
人は、常に争っている。
他より優位に立ちたくて、争い続けている。
これは果たして永遠にどうにもならないことなのだろうか?
皆が衣食住足りて、そういうものを巡っての争いがなくなったとしても、
もっとほしいと、足りた以上に欲しがり争うだろう。
より人より称賛や愛情を一身に受けたくて、それを求めて争いが続くだろう。
表向きは紳士淑女のように振る舞っていても、心の中で葛藤し、争い、不満を募らす日々を過ごすことも起こるだろう。
人は悟りを得て、「愛」を説いたりもする。
そして、人はその「愛の言葉」に魅かれて、そのような生き方を志向しようとさえする。
しかし、現況はその道は、多くが犠牲の道だったりする。
「愛」を志向する仲間同士で、心の中で葛藤し、争い、不満を募らせていたりもする。
生きている間は、天国は無理だが、死んだ後で天国に行ける、と説かれたりもする。
人生は苦しみだとも教えられる。そして、そこから脱する事を説かれる。
しかし、脱したはずの人が、暴言を吐いていたり、嫉妬の思いを発していたりもする。
ある生き方が、・・・そう、争いを生まない心のあり方での生き方が、その結果、強運だらけの、いいことづくめの結果を生み出すという現象をもたらしたとしよう。
それは、科学か医学の何かの実験みたいな形でかもしれないけれど、それが一つの予想外の実験結果をもたらしたとしよう。
例えるなら、・・・一つ前の実験では、ここの部位とここの部位の連結部分が正しく繋げられてなかったので、その後、支障が出てしまったようでしたので、そこをしっかりと固定して再度実験してみました。そうしたら、驚くべき結果が生じたのです。これは医学界に革命をもたらす実験結果となりました。・・・
みたいな感じ。
まあ、一例だけだと根拠が足りないかもしれないので、その後、二例目、三例目と続いたと。
「なんだ、そんなに凄いことになるんだ。だったら私もそうしたい。」そういう声が相次ぐ可能性が出てくるんです。
但し、それが、どんなに頑張っても簡単にできないことなら広まらない可能性が高くなります。
例えば、「痩せた方がモテる」というデータがはじき出されたとしましょう。
「じゃあ、痩せよう」・・・で、ダイエットに挑戦!・・・でも、とてもじゃないが簡単には無理ね、となって、あきらめる。
でも、どの人でも、ある方向性を持って、意識して取り組めば、誰でもたどりつける。但し、それまではそういう指針がたまたま世の中になかったので、誰もそこまでしなかった。でも新しい発見と実証によって、新しい道が切り開かれた。・・・そういうものであったとしたら・・・
コンタクトレンズの発明によって、メガネの煩わしさを気にせずにスポーツができるようになった。
最初、付ける時と、コンタクトに目が慣れるまでちょっとだけ我慢すれば、目にする世界が一変するかのような画期的な発明となった。そして、どんどん普及していった。・・・といった感じに。
では、争いを生まない心のあり方での生き方が、その結果、強運だらけの、いいことづくめの結果を生み出すという現象をもたらした・・・の「争いを生まない心のあり方」・・・これが何か?
これまでも、世の中には多くの人たちが、「愛」や「理想」を語り、そして、それを実践し、そういう世界を目指してきたりしました。
しかしながら、この文の冒頭で申し上げたように、常に争いがなくなることなく続いてきたのです。
その理由の一つとして考えられるのが、「愛」を語っていても、愛を全うできなかった、ということです。
「愛」を口で語り、頭で理解していても、その個人の心の潜在意識の部分において、心の根底の動機の部分において、自分がより優位に立ちたいという思いがあったり、自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいと思っていたり、少しでも自分がお金を損したくないと思っていたりするのです。これはあくまでも「潜在意識」においてです。
これら、
・・・自分がより優位に立ちたいという思い・・・
・・・自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいという思い・・・
・・・少しでも自分がお金を損したくないという思い・・・
が、即ち、「争いを生む心のあり方」になります。
ここの部分・・・【潜在意識・心の根底の動機】において、ここまで言及することはこれまで歴史上全くなかったわけではありません。
しかしながら、例えば、仏教でいう阿頼耶識(アラヤシキ)は、人間の本性という扱いに近く、その辺りが実はやや曖昧なままなのです。
新しい時代に移っていく今のこの時代には、次なる新たな概念、それは別に世の中自体が新しく変化するのではなく、私たちの認識がより正しくこの世の中を把握し、コントロールできていくようになるということです。
曖昧だった認識の部分がよりクリアになるだけです。
この【潜在意識の中のマイナスな思い】の部分が、人間の本性ではなく、即ち、永遠にクリアできないものというものではなく、余分にくっついてしまっている要素だとの新たな認識のもとで、それらを克服していった時、
その心の根底・深層にあるマイナスの思いに気付き、それに囚われない「真」の「愛」を全うする行動、言い換えれば、「自分」が完全に「無」になる、無私となる行動、それこそ一般的に見たらとてつもなく不利に思えるような行動であっても、それをより大いなる高い意識・見識でそれをなした際に、通常ではあり得ないような、普通に考えたら奇跡としか思えないような現象が起こった・・・としましょう。
しかし、これは理解が曖昧だと超えるのは簡単ではないと言えます。
但し、はっきりした理解・認識があれば、実は意外と簡単だったりします。
今、多くのあるレベル以上に悟りを開いた方々も、実はここまでの認識・理解がないので・・・即ち、先程書いた阿頼耶識(アラヤシキ)に対する認識を超えない段階の認識なので・・・
認識がなければ、超えることはほぼあり得ないので、そこまで達しないために、普段語っている内容が普通に聞いたら、とてつもなく素晴らしい内容を語っている指導者的立場の方であっても、
具体的には、
例えば K教団のO指導者も、
・・・自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいという思い・・・
を超えてないにも関わらず、それを何がしかの意味合いを付けて正当化してしまい、見事に「魔」の手にかかってしまい、相当数の勢力を誇っていながらも、今や、勢いを失い、徐々に苦境に陥りつつあるのです。
また、スピリチュアルのY指導者も、
・・・自分がより優位に立ちたいという思い・・・
・・・自分がお気に入りの相手の心を自分に引き寄せたいという思い・・・
・・・少しでも自分がお金を損したくないという思い・・・
この3つとも、その潜在した思いについては、全くの野放しの状態で、自らに不利な相手を蹴飛ばすようなことを見えないところでなしているために、やはり、徐々に運気を失いつつあります。
これらは、先程書いたように、その根底・深層の動機の部分における認識が従来のままの曖昧なままなので、それをいざという時に超える術(すべ)がないのです。だから当然超えられないのです。
私達は、ついつい、大きなものに目を奪われがちです。
新しい時代の芽は、常に見向きもされないような小さなところから育ちます。
最近のニュースがそのことを、そういう新しい時代の到来を示唆しているかのようです。
・・・ボランティア精神を貫き、幼児を助けた尾畠さん。
・・・地方の公立校(金足農)が甲子園で強豪校を破り、快進撃で魅了。
逆に次々と大組織の権力者層は馬脚を現し、失脚しています。
・・・レスリング協会、相撲協会、某大学アメフトチーム、日本プロボクシング協会・・・
私自身における、この「争いを生まない心のあり方」が自分のものとなって以降、断続的に、普通にない現象が続いているのが現実です。
もしも、他にも同じ類(質・レベル(注意:規模ではない))のことが起こっている人がいるのなら、是非、手を組んで主張していきたいところです。・・・が、現時点では、見つかっていません。また、そういう人がいるのなら、是非、声を上げて主張し、知らせてほしいと思うのです。なので、私も、可能な中で知らせていかなければならないと、同時にそれらを分析しながら、その役目、役割、ある種の使命を感じ、流れに沿いながら、少しずつお伝えしようともしているのです。
2013年に小さな実験みたいなことにある段階まで成功したような結果が生じました。
すると、不思議にも2014年から、それまで11年間、ヒントとして見せられ聞かせら続けていた太陽神からの夢うつつのメッセージを見ること聞くことがなくなりました。もう必要なくなった、ということだったのでしょう。その代わりに、まるでそれと入れ替わるかのように起こってきたのが、
チャネラーさんたちを通しての不思議な現象です。
不思議というか、私がこういう立場だ、とか、こういう存在だとか、こういう役目だ、とか、そういうことを知らせるかのような現象が、何人もを通して生じ始めました。
そして、その最後の砦(とりで)とでも言うのでしょうか、ここ最近は、バシャールの言われた内容と合致するケースが見られてきています。
大きくは二つで、
一つが、16年の秋から全てが変わる。16年の秋に種まきがされる。20年になって初めてその変化は16年の秋が切っ掛けだったと気付く。・・・といった予言です。(これ、確かに16年秋から種まきを始めているのです。そして2020年を一つの節目にもしています)
二つ目は、「シンクロニズム」という社会システムが、エササニという進んだ文明の星においてとられている。それは、必要な時に必要な人も物も必要なだけ巡ってくる、といったような内容です。(これもずっと何度も何度もシンクロ現象を通してヒントが得られたりや、偶然のようにピッタリの人に数多く出会わされてきたのでした)
多くの人が、一般的な見解として、そんなことしたら損する、として、選択しない行動を、その一歩超えたことによる劇的な体験から、次第に、当然そうするがいいに決まっていると、心底から、もう無意識下に近いレベルで選択し行動をするようになることで、断続的に、驚くようによいことが展開していく、となった時、
これらの認識が、世の中に浸透していったなら、無理と考えられていた、争いのない世界が現実的になっていくでしょう。
進化・・・
人の目につかないところで、少し思い切ったことを書いてみたいな・・・っと。
実は、この数年、いや10年ほどになるけど、
ある一つの動きが、次のあることを呼び起こし、そして、またそこから次のことを呼び起こし・・・と、どんどんどんどん次から次へと物事が発展するかのように展開し続けてきたのでした。
さすがに10年となると、いやいやこんなことにまでなったか~と思うわけだけど、
今、というか去年ぐらいになんとなく感じてきてたのは、これはこの流れに乗って進めていくと、おそらく、一つの「文化」みたいなものを生み出していくんじゃないかな、、、というところまで実際に自分の中では見えてきている。(周囲がどう感じるか、思うかは別ね)
まあ、現段階では、そんな大げさな、と思う人がほとんどかもしれないけれど、
例えば、10年前、7年前、4年前、1年前を切り取って比べてみれば、その進化が少しは見えてくるかとも思うけれど、
10年前(2008年)、7年前(2011年)、4年前(2014年)、1年前(2017年)、
2008年では、まだ、<100編の詩ができていった>のと、<アパートの管理をしていた>程度なのが、
2011年になると、それらが繋がって<ギャラリーを準備して、アート作品のコラボをするコミュニティを構築>という段階に達した。
そして、2014年までには、<ホールでの総合アート的な他にはないイベントを複数回開催し、また「黄色い家」でのイベントも試みられた>
更には、2017年までには、<次の時代に向けてのヒントを大きく盛り込んだイベントを開催>するとともに<星座な関係とブラックホールな関係>というわかりやすい形での人の心の闇と人間関係の理想を説いたものをまとめつつあって、そこから社会に影響を与えうる新しい何かが生まれようとしている、そんな段階に達してきている。
まだもう少し次への準備がかかるだろうけど、今後の展開が楽しみではある。
ブログって・・・
書きたいことはいろいろあるのに、なかなか書く状況にまで至らなくてまだほとんど書けずにいる。
ブログってなんぞや? なんてことも時折考えたりもする。
そもそもブログも続けていると、読んでる人を意識してしまい、ある種の縛りがかかってしまい、人の目を気にして、なんとなく自由闊達に書けない状況も出てくる。
世の中にブログが広まってから、10年前後経っていて、長い人は、それに近いぐらい書き続けている人だっている。(私もそうだ)
但し、今の時代はあまりにも先端技術が速いスピードで進化し続けているので、ブログやらSNSやら、使う道具としてのPCやら携帯やらスマホやらも、次々と目まぐるしく変化し、まだまだそれぞれのスタイルに万全さを感じない。
ここ数年で既に多くに広まっているtwitterにしろFacebookにしろ、あるいは(私はやってないが)instagramにしろ、何かと問題点も抱えている。
うまく使えば非常に便利なものだとも思うし、人生にプラスの要素を与えてくれることも多くあると思っているが、その逆の要素も結構多い。
AIが人類を滅ぼすといった説もあるほどに、今、人々は、機械や物(あるいは自然)との共存をどう進めていくかがより問われてくることになろう。
さらには、人間同士の関係性というものも、人類的にももう一皮剥けていく時なのかもしれない。
今回のブログの内容の落としどころを最初からそう考えて書き始めたわけでは全くなかったが、近年、発信している【星座な関係】と、それを阻む【ブラックホールな関係】を書きたいような状況に我知らず文章が推移してきた(笑)。
ただ、長くなるので今回は書きませんが、【人間同士の関係性】の再構築の大いなるヒントになるものとして、とりあえずここでは見出しとして【星座な関係】と【ブラックホールな関係】を挙げて終わりにしたいと思います。